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うーーん。感無量です。ジロの卒園式も大きな節目でしたが、昨日のタロの終業式もかなりグッと来るものがありました。私にとっては、帰国して二年生に途中転入してから、昨日までの10ヶ月は大きな意味のあるものでした。
オランダのインターに入学した当初も、そりゃあもう、心配で心配でしょうがなかったです。毎朝大泣きでした。泣きながら「行きたくない、お母さん、帰らないで〜」と叫ぶタロの気持ちもよく理解できましたし。それこそ身を切られる思いで、タロを学校に送り届けたものです。 でも帰国してからの月日の方が、タロにとって大変だったのではないかと想像するのです。 インターでは、タロのように英語を話せない子が次々に転入して来ます。必ずしも英語圏から来る子供達ばかりではありません。英語力も、外国生活の体験も様々な子供達を、一人一人きめ細かに見て下さる先生方。そもそも肌の色も、目の色も、言葉も文化も異なる子供達が集まっている学校で、タロは「こうでなければ」「こうしなければ」と思う必要は殆どなかったと思います。自分だけができない、とか他の人と違う、とか思うこともなかったでしょう。一人一人違って当たり前、という感覚を身をもって体験していた訳です。 しかし、地方の日本の公立校では、タロの経歴は異色。日本の幼稚園を卒園し、一年生から学校生活に馴染んできた子供達の集団に入ることになって、まさしく、タロだけ違う状況。当初、わたしはとても心配しました。みんなが当たり前にできることを、多分、タロはできない、知らない。ジロは幼稚園児ですから、できなくても手助けしてもらったり、甘える余地はあるでしょう。でも二年生、8歳児になって、できないからといって、人に手助けを求めたりすることは勿論、それ以前に「できない、知らない」ということを正直に言う事はかなり勇気がいることと思います。特にプライドの高いタロにとっては...。いろんな子供がいたオランダのインターと違って、自分だけが特殊な存在だと気付き、そこで卑屈にならないか、そのことで周りからいじめられたりしないか....親馬鹿ですけど、本気で心配しましたよ。 しかし、タロはわたしの心配をよそに、実に逞しく、そして柔軟に日本の学校にとけ込んでいきました。転入前、心配事をあれこれ並べ立てて、担任の先生に何卒よろしく...としつこい程にお願いした私は一体....? って思う程、初めての体験にも臆することなく、できないことはできないと言い、助けてくれるクラスメイトに感謝をしつつ....ええ、私の手助けなどこれっぽっちも求めず、やってきました。 学校生活では親が直接手助けできることは殆どないですよね。彼もそれがわかっているのか、殆ど泣き言は言いませんでした。でも彼の口ぶりや態度から、いろいろ苦労しているんだなあというのは感じていました。鍵盤ハーモニカしかり、縄跳びしかり。 二重跳びができない、とこぼしていた彼は、結局今学期の終わりに12回跳べるようになりました。まさに努力の賜物です。 この10ヶ月はオランダ滞在の二年に匹敵する程、貴重な月日だったと思うのです。できないこと、未体験のことに、自分で工夫しながら挑戦する、できるようになるまで努力する。親の力を借りずに...。 先日の終業式にこれまでの感謝の気持ちを手紙にして担任の先生にお渡ししました。私の不安を受け止めて、細かい配慮をして下さった上で、タロの力を信じ、温かく見守って下さってありがとうございました、と。 そしたら、今日(6年生の卒業式で登校)、お返事を下さいました。それを読んで、またウルウル。 タロ君は凛々しくて、潔い、とてもすてきなお子さんですね。タロ君の縄跳びでの努力は「頑張ればできるようになる」ということを、クラスのみんなが教えてもらいました。子供の力って素晴らしいと、改めて思わせてくれたタロ君との出会いを一生忘れないでしょう、と。 いや〜〜こんな風に書いて下さると恐縮です。温かい先生の指導、優しいクラスメイトのおかげで、タロは自分の力を発揮することができたのです。本当に感謝、感謝です。 春からは3年生。どんなことが待ち受けているのでしょうか。でもインターへの編入、そして帰国後の日本の学校への編入、という二回の大きな変化を乗り越えて来たタロなら、きっとこれからも大丈夫...ですよね?
by shipmaker2
| 2007-03-23 14:03
| 学校(幼稚園)
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